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脳画像が捉える臨場感・現実感のメカニズム:精神疾患における障害と臨床的示唆

Tags: 脳画像, 臨場感, 現実感, 精神疾患, 精神病, 解離, 臨床応用, 脳ネットワーク

はじめに:患者さんの「現実感がない」訴えに向き合う

精神科の臨床現場では、「現実感が薄い」「自分が自分でない感じがする」「世界が遠い」といった、患者さんからの主観的な訴えにしばしば遭遇します。これらの訴えは、精神病性障害の初期症状として現れることもあれば、解離性障害の主要症状、あるいはうつ病や不安障害、PTSDに伴う症状としても認められます。これらの体験は、患者さんの苦痛を増大させ、日常生活に大きな影響を与えます。

これらの主観的な体験は、「臨場感(sense of presence)」や「現実感(sense of reality)」といった、自己や外界との関わりにおける基本的な感覚が障害されている状態と捉えられます。しかし、こうした感覚は非常に個人的で捉えどころがなく、客観的に理解したり、患者さんやご家族に説明したりすることの難しさを感じられているかもしれません。

近年、脳画像技術を用いた研究は、こうした主観的な体験の脳内基盤を明らかにしようと試みています。「考える」「感じる」といった意識の活動を脳の働きとして捉える本サイトの視点から、今回は、臨場感・現実感のメカニズムに関する脳画像研究の知見が、精神疾患におけるその障害の理解にどのような示唆を与えるのか、そして臨床現場でどのように役立つ可能性を秘めているのかについて解説いたします。

臨場感・現実感とは何か、脳画像はこれをどう捉えるか

臨場感や現実感は、単一の感覚ではなく、知覚、認知、感情、身体感覚、記憶など、脳内の多様な情報処理が統合されて生まれる複雑な主観的体験と考えられています。例えば、目の前の風景が「リアルだ」と感じるためには、視覚情報だけでなく、その場の音や匂い、自身の身体の位置感覚、さらには過去の経験や感情といった様々な要素が、脳内で整合的に統合される必要があります。また、「自分はここに確かに存在している」という自己の臨場感は、身体からの感覚入力、内受容感覚、自己に関する記憶や思考などが統合されることで成り立っていると考えられます。

脳画像研究では、こうした臨場感や現実感に関連する脳機能を探るために、機能的MRI(fMRI)や脳波(EEG)などが用いられます。例えば、仮想現実(VR)環境を用いた実験で、現実世界に近いVR体験をしているときとそうでないときの脳活動を比較したり、臨場感や現実感に関する質問への応答中の脳活動を調べたりするアプローチがあります。

これらの研究から、臨場感・現実感の生成には、特定の単一領域だけでなく、脳内の複数の領域が協調して働く「ネットワーク」が重要であることが示唆されています。特に注目されるのは、安静時にも活動が高いデフォルトモードネットワーク(DMN)、外部刺激への注意を向けるサリエンスネットワーク(SN)、目標指向的な思考や行動に関わる実行制御ネットワーク(ECN)といった主要な大規模脳ネットワークの間の相互作用です。これらのネットワークが協調することで、自己と外界を区別し、外部世界の情報を適切に処理し、整合性のある「現実」という主観的な体験が構築されていると考えられます。

また、島皮質(身体感覚や感情の統合に関わる)、前頭前野(認知制御、自己参照)、頭頂葉(空間処理、自己身体イメージ)、側頭葉(記憶、感情処理)なども、臨場感や現実感に関連する脳領域として挙げられています。これらの領域やネットワークの活動、あるいはネットワーク間の機能的連結性のパターンが、主観的な臨場感や現実感の強さや質と関連付けられ、そのメカニズムの理解が進められています。

精神疾患における臨場感・現実感の障害と脳画像所見

精神疾患において、臨場感や現実感の障害は様々な形で現れます。脳画像研究は、これらの障害の脳機能的な背景に迫ろうとしています。

精神病性障害(統合失調症など)

統合失調症などの精神病性障害では、幻覚や妄想といった症状に加え、「現実感が薄い」「世界が歪んで見える」といった体験が報告されることがあります。これらの症状は、現実検討能力の障害、つまり脳が作り出す現実モデルと実際の外部世界との間にずれが生じることで起こると考えられます。

脳画像研究では、精神病性障害の患者さんにおいて、DMN、SN、ECNといったネットワークの機能的連結性の異常がしばしば報告されています。例えば、外部刺激への注意を過剰に向けるSNの活動亢進や、内部思考に関わるDMNと外部指向的なECNの間の連結性の異常などが、現実との接点の障害や自己と外界の境界の曖昧さ、そして幻覚・妄想といった症状に関連している可能性が指摘されています。

また、知覚に関わる脳領域(聴覚野や視覚野など)の活動異常が、外部からの刺激がないにも関わらず「聞こえる」「見える」といった幻覚体験の脳機能基盤であるとする研究や、自己参照処理に関わる脳領域(内側前頭前野など)の機能変化が、自己と他者の区別や現実感の障害に関わる可能性も検討されています。

解離性障害(離人感・現実感喪失)

解離性障害の亜型である離人症/現実感喪失障害では、自己からの乖離感(離人感)や、周囲の世界が非現実的に感じられる体験(現実感喪失)が中心的な症状となります。これらの症状は、しばしば強いストレスやトラウマ体験の後に生じることが知られています。

脳画像研究からは、解離症状を持つ患者さんにおいて、感情処理に関わる脳領域(扁桃体、前帯状皮質など)の活動が低下している可能性が示唆されています。これは、情動体験からの「麻痺」や「切り離し」という解離の側面を反映しているのかもしれません。また、前頭前野による感情抑制が亢進しているという知見もあり、感情体験を意識から切り離すという脳の働きの現れである可能性が考えられます。

さらに、自己や身体イメージに関わる領域(頭頂葉、島皮質など)の機能変化や、これらの領域を含むネットワークの機能的連結性の異常も報告されています。これらの知見は、「自分が自分ではない」「身体が自分のものに感じられない」といった離人感や、「世界が作り物のように見える」といった現実感喪失といった主観的な体験が、脳の特定の領域やネットワークの活動異常と関連していることを示唆しています。

その他の疾患

うつ病、不安障害、PTSDなど、他の精神疾患においても、軽度ながら現実感喪失や離人感の症状が見られることがあります。これらの症状も、疾患特有の脳機能の変化(例えば、うつ病における情動処理に関わるネットワークの変化、PTSDにおける恐怖ネットワークとデフォルトモードネットワークの相互作用の変化など)と関連している可能性が研究されています。

臨床現場への示唆と患者・家族への説明

脳画像研究から得られる知見は、患者さんが訴える「現実感がない」といった主観的な体験に対して、脳機能的な視点から理解を深める手助けとなります。これは、患者さんの苦痛を単なる「気のせい」や「曖昧な訴え」として片付けるのではなく、脳の特定の働き方の変化として捉え直し、共感をもって耳を傾けるための基礎となり得ます。

患者さんやご家族に対し、「現実感が薄いと感じるのは、あなたの意志とは無関係に、脳の特定の領域やネットワークの働きが一時的に、あるいは持続的に変化していることと関連があると考えられています。これは決してあなたが悪いわけではありません」といった説明をすることで、症状に対する罪悪感や孤立感を軽減し、病態理解や治療への動機付けに繋がる可能性が考えられます。もちろん、脳画像所見が直接的に個々の患者さんの体験の全てを説明できるわけではありませんが、こうした研究で示されている脳機能との関連性を示唆することは、症状の「実体」を伝える上で有効な場合があります。

また、臨場感や現実感に関わる脳ネットワークの理解は、治療的介入(薬物療法、精神療法、脳刺激療法など)がこれらのネットワークにどのように作用し、症状改善に繋がるのかを検討する上でも重要な視点を提供します。例えば、特定の治療法が、解離症状に関連する島皮質や前頭前野の活動をどのように変化させるか、といった研究が進めば、治療法の選択や効果予測のヒントになるかもしれません。

技術の限界と倫理的考慮事項

臨場感や現実感といった極めて主観的で複雑な体験を、現在の脳画像技術だけで完全に捉え、説明しきることは依然として困難です。脳画像は脳活動の指標を提供しますが、それが個々の主観的な体験とどのように結びついているのか、またその因果関係は何かについては、まだ多くの研究が必要です。

また、脳画像所見はあくまで集団レベルでの傾向を示すことが多く、個々の患者さんの体験や病態の全てを説明できるわけではありません。脳画像所見のみをもって診断を確定したり、治療方針を決定したりすることはできません。脳画像技術は、あくまで臨床情報、患者さんの病歴や症状、他の検査結果などと統合して理解されるべき補助的な情報源であることを常に念頭に置く必要があります。

脳画像データの使用においては、倫理的な考慮も不可欠です。患者さんの脳機能に関する情報は非常にプライベートなものであり、その取得、保管、利用には十分な配慮が求められます。インフォームドコンセントを適切に行い、データの利用目的や限界について明確に説明することが重要です。また、脳画像情報が患者さん自身やご家族に誤解を与えたり、スティグマ化に繋がったりしないよう、情報の伝え方には細心の注意が必要です。

まとめと今後の展望

臨場感や現実感といった主観的な体験は、精神疾患の診断や治療において重要な意味を持つにも関わらず、その理解や客観的な評価が難しい側面があります。脳画像技術を用いた研究は、こうした体験の脳内メカニズムや、精神疾患におけるその障害の背景にある脳機能の変化を明らかにしつつあります。

特に、デフォルトモードネットワーク、サリエンスネットワーク、実行制御ネットワークといった大規模脳ネットワークの異常や、島皮質、前頭前野などの特定の領域の機能変化が、精神病性障害や解離性障害における臨場感・現実感の障害と関連している可能性が示唆されています。

これらの知見は、患者さんの訴えに脳機能的な視点から寄り添い、病態理解を深めるための臨床的示唆を与えてくれます。また、患者さんやご家族への病状説明においても、脳の働き方の変化として伝えることで、理解や受容を促す一助となる可能性があります。

しかし、現在の脳画像研究はまだ発展途上であり、臨場感・現実感のような複雑な現象を完全に解明するには至っていません。技術的な限界や倫理的な側面にも配慮しつつ、臨床現場での経験と脳画像研究からの知見を統合していくことが、精神疾患を持つ方々の「わたしの脳、どう動く?」という問いへの理解を深め、より良い支援へと繋がる道を開くでしょう。